2016年ヘミングウェー協会全国大会


他者性の受容――『日はまた昇る』における「服従」の「征服」

Embracing Otherness: Mastery of Submission in The Sun Also Rises

本発表は、アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』(1926年)における主要登場人物たち(ジェイク・バーネス、ブレット・アシュリー、ロバート・コーン)に見られるサド・マゾ的な心理や行為を、自己性・他者性との関係に注目しながら異なる次元で分析し、主観性及び人間関係における「服従」の意味を解明する試みである。まず、コーンとボクシングとの関係を考察し、ボクシングというマゾ的な活動はコーンの人種的・ジェンダー的アイデンティティの脱構築・再構築を行う自己管理的な訓練だと示す。次に、コーンのマゾ性を強調して描いたジェイクのサディズムについて検討し、ジェイクとコーンが互いの他者性によって自己を補完し合う関係を示す。続いて、ジェイクとブレットとの関係について考察する。ここでドゥルーズを援用しつつ、ブレットの操作可能な中性的容姿をグレイス・ヘミングウェイに結びつけ、ジェイクのブレットに対する執着心はヘミングウェイの母愛への憧れの表れであり、ブレットの「見捨てる行為」の多くはジェイクのマゾヒスティックな欲求を満足させるためだと示す。また、ブレットがロメロと一緒に去ったこと、コーンが理性を失って暴力を振ったこともジェイクの誘導的行為だと指摘する。興味深いことに、何回殴られても降伏しないロメロの男性性を見たコーンは従順でない自分を恥ずかしく感じ、謝罪を表す握手を通してユダヤ性は自己の一部であることを確信していく。ブレットはロメロとの交際によって自分が伝統的な女性になるのは不可能だと気づき、自分のニュー・ウーマン的な性質を尊重するマイクのもとに戻る。ジェイクの自己受容はサン・セバスティアンでの治療的活動によって達成したと思われる。彼は水という<他者>を通して男性性・女性性のエネルギーを混ぜ合わせながらより流動的な状態となり、更に、内的他者との対話を通して「ありのままの自分を受け入れる」覚悟をするのである。

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